HOME特集|虐待① 児童虐待防止法の10年

児童相談所における虐待対応と機関連携(児童虐待防止法の10年)


■児童虐待防止法は平成12年11月20日(西暦2000年)に施行され、改正を繰り返しながら現在に至る。上記のグラフは、その年に対処(対応)した虐待件数です。


■施行された平成12年では27.725件でしたが、平成21年では44.210件になってしまいました。この数字は約10年間で倍を示しています。しかも公の場で示された数字のため、実際には、この数字の3倍から5倍に当たるのではないかと予測される。

児童相談所運営指針

①虐待通告の受付の基本を徹底(虐待に関する情報は記録表に止める)
②安全確認に関する基本ルール(48時間以内に安全確認・立ち入り調査や一時保護)
③「きょうだい」事例への対応を明確化(子どもごとに作成)
④在宅の虐待事例に関する定期的なフォロー(定期的に現在の状況を検討)
⑤関係機関相互における情報共有の徹底

虐待対応が遅れる要素

事例の参考資料は、平成22年3月と5月の資料

■平成21年9月、病院の医師が虐待に気づき「子ども家庭支援センター」へ通告した。
その後は、本児が通っている小学校・児童相談所など各機関へ連絡が流れたが、平成22年1月に本児は死亡。この当時の問題点を振り返った。

■問題点(平成22年3月)
①「受け止め方の甘さ」 ②「状況把握の甘さ」 ③「虐待という認識の甘さ」
④「虐待者に対する評価の甘さ」 ⑤「児童虐待の認識・感度の甘さ」
⑥「児童や保護者の心理状態の把握の甘さ」などが挙げられた。

■その後に検討され新たに共通な問題点を打ち出した。(平成22年5月)
①「児童本人から話を聞いていない」 ②「それぞれが他機関に任せきりにした」
③「連携が不十分」と、書き綴られている。

児童のあしあと・・・情報

■母親は祖母の家にて出産し3人で暮らす。平成20年3月支援(お金)を打ち切られる。
その後、1人で家を出た母親は平成21年2月に継父と結婚、そして、3月には、就学を機に児童を引き取り3人の生活が始まった。(児童は、4月から小学校へ通う)
■5月、児童は初めて病院へ、以後、定期的に通う。(学校の欠席が目立つ)
■9月、担任が児童の顔の「痣(あざ)」に気づき副校長と学年主任に報告。
・児童は「パパにぶたれた。僕は悪いことをしていない、ママは黙ってみていた」と、
 医者に助けを求めた。
・医者は、その10日後に子ども家庭支援センターに虐待通告。
(なぜ、10日後だったのだろうか・・・。)
■子ども家庭支援センターは、小学校の校長に状況確認を依頼。
・学校では虐待に気づいていたため「今後、気をつけてみていく」と、校長が応えた。
■以後、児童は欠席が続く、理由は「自転車で転んで怪我をした」など。
■担任が家庭訪問すると、児童の顔は1.5倍に腫れ上がっていた。
(その後、家庭訪問をしても児童に会えなくなる。)
■継父は「しつけである、二度と殴らない」と、言った。
■子ども家庭支援センターは児童相談所へ「状況提供」
■10月、児童は学校を欠席、理由は「頭痛のため」
■10月16日、児童は吐き気と頭痛にて病院を受診、病名は「硬膜下血腫」。
・母親は「10日の夜に継父と遊んでいて畳に頭をぶつけた」と、医者に話す。
・継父は「遊んでいてよく落とすが、それくらいでこうなるのか」と質問した。
・医師・看護師は、疑問を抱えたが親の言葉を信じて、虐待を疑わなかった。
■その後も欠席が多く続くが、時折、学校へ来る。
・児童が学校へ来たときに身体測定があったが、児童は衣服を着たまま行われた。
(なぜ、体のチェックを行わなかったのか・・、学校側では虐待を否定していたのか)
■子どものSOSを見逃し、翌年、1月24日病院にて死亡。

疑問がわく

・9月に子どもが助けを求めたとき、大人たちの耳にはどのように届いたのだろうか。
・子どもはどんな思いでこの世を去ったのだろうか・・・。


●特集:虐待の目次●
(2011年6月に研修会に参加。その時の資料を元に「虐待」について記載)
児童虐待防止法の10年:【資料】児童相談所における虐待対応
虐待の要素(分析):親、子ども、第三者の思いを考えてみよう。
「質問と疑問」:子どもが言った言葉から親、子ども、第三者の立場を考える。
子ども虐待の基本理解:【資料】子ども虐待の定義とその特徴・子どもに与える影響

2011.11.21このページのトップへ