記憶・体験のページ

親に見捨てられた子供時代「親って何?」「家族って何?」「家庭とは何?」そんな疑問を抱える子供は「私はいったい何?」と、問い掛けながら大人になる。

子供時代に抱えた「心の傷」に苦しみながらも大人へと成長したが、
「生まれて来なきゃ良かった」の思いは、脳裏から消えることはなかった。



親が子供を見捨てた出来事とは

「今日からこの人がお母さんだよ」と、3歳の未奈に笑みをこぼしながら父親が言った。

一つの家庭を壊して新しい家庭を構築したが、これは見せかけでしかなかった。

当時、父親は離婚と再婚をほぼ同時日に行い、新しい家族との生活も3年目に入った。そんな時に、継母は父親に離婚を要求するが拒否をした。時は流れ、我が家に赤ちゃんが誕生した。

悲しい涙を流していた継母の顔は、安らぐような優しさをこぼして、隣に眠る小さな赤ちゃんを見つめ、未奈を見つめて微笑んだ。 「学校へ行ってきます」と、枕元に座り込んだ未奈が声を掛けると優しく頷き「いってらっしゃい」と、微笑みと共に言葉を発した。

この時の出来事は、未奈の心に焼き付き、今でも鮮明に記憶に残っている。
当時、未奈は6歳、小学校へ入学してまもなくの出来事だった。


幸せの時は続かず

学校から戻った未奈だったが、家を取り巻く近隣の人々、そして救急車やパトカーもいた。 ざわめく人々の声は「自殺だって」「可哀想に、まだ小さいのにね」「子供だから大丈夫よ、直ぐに忘れるわ」と、 大人たちの無責任な言葉が飛び交っていた。

未奈は、この時を境に、家へ戻ることも入ることも出来なくなった。

そうして、もうじき3ヶ月を迎えようとした頃、父親は赤ちゃんと共に継母を追った。


癒されない心の傷

① 突然、消えた生みの母親。
② 突然、紹介された継母。
③ 突然、この世を去った継母と父親と赤ちゃん。

これらの出来事に遭遇した未奈に、寄り添ってくれる人は誰もいなかった。

※ 家庭崩壊の姿を目の当たりにした未奈は「取り残された」「嫌われた」「捨てられた」などと学び、疎外感や孤立無援感に打ちのめされていた。


一方、父親がこの世を去ったその晩、未奈が住む家では、夜中に家族会議が開かれた。
隣の部屋で眠っていた未奈だったが、突然、目を覚ますと、息を潜めて話を聞き入っていた。

「どうする、家で面倒を見る義理はないだろう」
「そうだよな、父親がお金を入れていたから、預かっていただけだし」
「お金をもらえなくなった、今は、育てる義理はない」
「何処へ連れて行けばいい?」
「やっぱり、血縁が育てるべきだろう、それとも養護施設か?」
「いや、父方の祖母の家だろう、そこで何か策を立てるだろう」
「私が、明日連れて行く、置いてくるよ」と、家族会議の幕が下りた。


「私、邪魔なんだ。なんでここに居るんだろう。どうして、お父さんは私を置いていったんだろう。お父さんにも嫌われていたんだ。一緒に行きたかった。」と、心が叫んでいた。

未奈は、継母がこの世を去った日から、父親がこの世を去るまではこの家で暮らしていた。


祖母の家では「父親とは縁を切った、なぜ、お前がここにいる」「なぜ、生きている、死ね」と、 鬼の形相で未奈を睨み、声を張り上げた。まるで、『父親への怒りを、未奈にぶつけても収まらない』と、訴えるように、毎回、毎回、終わりのない怒りが未奈を突き刺した。

そんな未奈の居場所は「庭」と「押し入れ」。日中は雨が降っても1日庭で過ごし、夕食が終わると 押し入れの扉が開かれ、未奈は4分の1のスペースに入り込む、布団は座布団だった。

祖母の家で暮らす未奈は自己虐待を繰り返していた。
癒されない心の傷はますます深く刻まれた。


ショッキングな出来事は続く

あれから、数ヶ月の時を刻むと、新聞広告に載った未奈は里親の家にいた。

知らない地、始めて出会う人、しかも親となる人に対して「お父さん」「お母さん」と、呼べるようにと、 何度も何度も練習を重ねて、嫌われないようにしようと言い聞かせていた。

そんな未奈の思いは『二度と祖母の家へは戻りたくない』と、叫んでいた。

ところが、親となる人の第一声は「悪い子だったら、あの怖~いお祖母さんの家に返すから」と、笑いながら脅迫の言葉を発した。 その言葉に、未奈の心は凍りづいた。


心が癒されないまま次から次へとショッキングな出来事に遭遇する。⇒ 慢性ショック

2011.7.8このページのトップへ